我が母親のメンタル、尊敬。

こんにちは、こんばんは。おめぐです。

今回はやや真面目な話。

子どもが生まれ、自分が親になってから

「もしや、自分の親ってすごかったのでは、、、?」と思うことが増えました。

今のようにネットの情報など簡単にキャッチできない時代です。

携帯電話だって、両親は私が小学生のときに初めて購入していました。

両家の親とは離れて暮らしていたので、頼り切ることもできず。

当時の育児のバイブルは育児本。

本を見ながら頑張って育てていたのだそうです。

私は、生後一か月から保育園に預けられていました。

母のことを、

”仕事好きなバリキャリの女性”

だと思っていました。

しかし、実はそうではなかったのです。

母となんとなく昔の話をしていたとき、

「あの頃は育休なんてなかったから。」

「生後1か月で仕事を辞めるか、預けるか、しかなかった。」

と。

衝撃でした。

私は育児休業給付制度が当たり前の時代に出産したので、

それがない時代のことを考えたことがありませんでした。

そんな育休について少し調べてみました。

1994年に雇用継続給付の一環として始まった育児休業給付。

私が産まれたときはギリギリ制度がなかったのです。

(、、、ハッ!私の年齢がバレる!)(いや、アラサーと書いてるしもうバレてる)

しかも、当初の給付率は驚愕の ” 25% ” 。

休業開始となった時点の賃金の1/4の給付だったそう。

こ、これは、、、。

例えば、

手取り20万/月だったら、5万/月。

手取り16万/月だったら、4万/月。

そんな世界だったのです。

現在は、

育休開始から6か月間は67%、

それ以降は50%の給付率となっており、

育休開始から最大2年まで給付を受けることが可能です。

1993年までに出産した”働くお母さん”は、

産後休業期間を過ぎれば、復職しないとお金が入ってこない。

しかし、出産で負った体のダメージは、産後8週では完全に癒えません。

妊娠・出産で歪んだ体、母乳を出すためにキンキンに張る胸、

夜間授乳などもあり寝不足の毎日、、、。

とても復帰しようとは思えない精神状態だったと思います。

そんな中で、働くのか、辞めるのか。

本当に苦渋の選択を強いられていたのですね。

私の母は、基本的にメンタルが鬼のように強いので、

当時のことを

「辞めるのはいつでも辞められるから、働けるうちに働いておこうと思った。」

「そしたら、辞めずに今も働いてる。それだけのこと。」

と振り返っています。

どうですか。鬼メンタルですよね。

「それだけのこと。」とサラッと言っていましたが、

その一言にはなかなか重みがあるなと思いました。

ちなみに、

母が私を保育園へ預けながら働き続けた理由が

もう一つあるんだそうです。

「家事・育児を完璧にできる自信がなかった。」

「仕事をしていれば、家事・育児を手抜きしても指さされないと思って。」

我が母親ながら、さすがの思考。あっぱれです。

私は今までそんな観点を持ち合わせていませんでした。

というか、それ以前に

家事・育児は女性の仕事で、

かつ、手抜きが許されなかった時代だったのかもしれませんね。

ああ恐ろしい。(心の声ダダもれ)

私もそんな母を見習って、

メンタルだけは鬼になり、

表情はいつもにこやかに(それが難しいのよ)、

ちょっとやそっとでは動じない母親でありたいです。

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